将来に伝えておきたい災害廃棄物処理のはなし

~寄稿~
平成30年7月豪雨災害を経験して…
~小さな自治体で起こった大災害からの復旧作業~(その1)~
坂町 都市計画課 課長 西谷伸治

令和2年9月

本稿は、全2回に分けてご紹介いたします。

目次


1.はじめに

2.災害時の状況

3.発災直後にまず取り組んだこと

○交通インフラ
○生活インフラ
○被災者支援
○膨大な量のがれき混じり土砂
○土のう袋に入れられた災害廃棄物等の搬出と処理

4.緊急県外処理の背景と経緯

5.広島県への事務委託における坂町の役割と実務

---以降は(その2)---

6.公費解体の取組

〇公費解体事務とその支援
〇解体工事がスムーズに進むまで
〇国庫補助事業の対象について

7.環境省・国土交通省の連携事業の成果と課題

8.被災したリサイクルセンター坂の復旧が補助対象外に

9.災害の経験を踏まえて

10.最後に



1.はじめに


 坂町は広島県の南西部に位置し、広島市と呉市に隣接している。地形的な特徴は西側がほとんど海岸線で、近くまでは急峻な地形となっており、坂町の総面積の約14%の平地に家屋が密集して建てられている。

  町の面積は15.69km2、周囲約24km、南北6km、東西2~4kmの縦型の形状で、人口は約13,000人、交通ではJR呉線、広島呉道路、海田大橋、国道31号により、広島市や呉市の中心市街地へ約20分でアクセスすることができる。


坂町の位置図・デジタル標高図 

マーク付きの画像は拡大することができます。)


 広島県の山地は主に広島花崗岩といわれている岩石からできており、花崗岩は長い間、風雨にさらされると「マサ土」と呼ばれる砂のような土に変化する。「マサ土」は水を多く含むと非常にもろくて崩れやすい性質を持っており、斜面の表面を「マサ土」が多く覆う広島県では、土石流やがけ崩れなどの土砂災害が起こりやすいことは知られている。

 近隣の広島市では数年に一度の割合で大きな災害が発生しているが、過去に坂町でも明治44年(1907年)7月15日の豪雨で、犠牲者46名(小屋浦地区の犠牲者44名)にものぼる大災害が発生した記録がある。

 坂町は職員数約100人の小規模な自治体である。個人的には、民生部局に6年、総務部局(財政係)に17年従事し、災害発生前に初めて環境部局に配属され、担当課長として職務にあたっていた。

 配属された環境防災課は6人体制(課長を含め職員は5人+臨時職員1人)で環境と防災・危機管理を所管しており、町の塵芥処理業務は収集運搬業務を民間事業者に全委託、焼却処分については一部事務組合に委託し処理を行っている。このため町の廃棄物の業務全般に携わる職員は2名で、人的余裕は無い状況であった。災害にも地震や風水害等さまざまあるが、大規模災害の経験が無かった私が、少ない職員数で様々な災害復旧対応を行った内容を思い出せる範囲内で書くことにする。

 私の経験談が被災した小規模自治体職員の方々の参考になれば幸いである。


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2.災害時の状況


 平成30年7月豪雨は発災数日前から雨が降り続き、危機管理も担当していた自分は、発災当日7月6日の早朝5:30に気象台から大雨警報発令の情報を入手し、庁舎内で非常態勢に入っていた。

 夕方近く15:00から次第に降雨が激しくなり、高齢者等・避難準備情報を発令、17:35に気象台から土砂災害警戒情報が発令されたことに伴い、災害対策本部を立ち上げ、避難勧告を発令、19:40に大雨特別警報発令と同時に避難指示を発令した。しかし既に土砂災害は町内各地で発生しており、家屋の倒壊や避難途中の方が流されるなど、人的被害も発生していた。

 自衛隊、消防緊急援助隊、警察の方々が当日の深夜には被災地に到着し、人命救助や捜索活動を行ったが、多くの方が犠牲(16名が死亡、1名が行方不明)となり、損壊家屋も想像できない数となっていった。

 被害を発生させた主な要因としては、豪雨により山地から複数の土石流が住宅地へ向かって流下するがけ崩れと、河川に流入した土砂・流木・巨岩が橋脚に引っ掛かり、河川の断面を閉塞させること等により河川から溢れた雨水や大量の土砂が住宅地に流れ込み、低地帯に滞水し続けたことによるものであった。

 災害の中でも大雨による浸水被害、台風による暴風被害などがあるが、平成30年7月豪雨災害では、土石流被害・堆積土砂被害、浸水被害の複合的災害となり家屋や人的被害のダメージがかなり大きくなったものと感じた。

 大量のマサ土が一気に流下して住宅地に堆積することは想定していなかったため、土砂やがれきの撤去手法やそれらにかかるコストなど、発災当初は想像することもできなかった。


土砂崩れの様子

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3.発災直後にまず取り組んだこと


 発災直後から約二週間は、行方不明者、負傷者等の情報収集、マスコミ対応(これが大変ストレスになる)、避難所運営業務に追われた記憶がある。

 危機管理担当でもあったため、初動期は防災・救助活動に重点を置いていて、災害廃棄物と言われる土砂やがれきの撤去や処分を誰が行うのか、仮置場の確保をどうするのか等の問題は後回しになっていた。


交通インフラ


 災害発生後も降雨が続いたため、山地で新たに大規模な土砂崩れが発生し、高速道路が完全に崩壊した。それにより巨石や土砂が国道を完全に塞いだため、数日間、車の通行ができず、小屋浦地区は陸の孤島となった。

 仮設の国道が海岸線に整備された後も酷い交通渋滞が発生し、役場から5kmの距離を車で片道1時間かけて避難所に物資運搬を行っていった。

 土木部局は、国道、河川、町道、JR敷地内に堆積した土砂等を早急に取り除かなければならず、環境部局と連携を図ることはないまま、国・県・JR・NEXCO等が連携して土砂の緊急搬出計画(人工海浜から直接、埋立地への直投)を作成し、土砂等の仮置き作業を始めていた。

 今思えば、当初から土木部局と協力して土砂等と一緒に災害廃棄物を搬出できるようなスキームが確立できていれば良かったと思う。


生活インフラ


 発災直後から停電・断水し、下水道管も被災し、生活インフラは壊滅的な状況となった。

 避難所には発災前から被災者が続々と押しかけていて、空調設備、トイレの機能もストップした公共施設で避難所生活を送ることとなった。

 避難所へは食料や飲み物等、最低限のものを船で運搬していたが、早急に必要なものは、仮設トイレの設置や、簡易トイレ(袋に用を足し固めて捨てる)だった。仮設トイレ設置後は排せつ物の汲み取り、避難所から排出されるゴミの処分が緊急課題となり、それらの廃棄物は、避難所運営職員やし尿処理場職員が搬出・撤去作業を定期的に行うこととなった。


被災者支援


 被災地では水位が下がり、ボランティアが家の片付け作業に参加すると、災害廃棄物が大量に地域に排出されるようになった。

 人命救助活動などによりがれきや土砂の撤去がスムーズに進まない地域もあったが、地域の代表の方と連携を図りながら、撤去箇所の優先順位付けをしつつ、着手できた地域から民地や道路脇に置かれた災害廃棄物の撤去・運搬作業を行った。

 収集運搬業務は、年度当初から契約している一般廃棄物処理業者(2社)に作業員を総動員してもらい、収集運搬業務を休みなく行ったが、交通渋滞が酷く、一次仮置場の災害廃棄物はなかなか減らなかった。

 近隣の一般廃棄物処理業者も車両や人員不足のため、町に協力してもらえず対応に苦慮していたところ、環境省のプッシュ型支援を通して全国都市清掃会議から7月19日~8月末まで名古屋市、浜松市、静岡市が収集運搬車(パッカー・ダンプ)を現場に持参くださり、収集運搬作業を行うことができた。

 小屋浦地区では堆積土砂の撤去が進み、多数のボランティアが参加できるようになると、排出される災害廃棄物の量が多くなったが、現場作業員の方々による収集運搬作業は手慣れており、非常に助かった。

 しかし、どの現場にどのくらいの量の災害廃棄物が排出されているのかを把握し、どの地区から搬出するのが良いのかを判断し、適切に搬出作業を進めるためには、現場からの情報収集と、応援に来てもらった方たちの配置をうまくやりくりする必要があり、受援自治体は支援自治体の方々がスムーズに仕事ができるようにすることが重要であると感じた。

 また、災害後すぐに被災者は家屋を修繕し生活再建を進めるが、請け負ったリフォーム業者の中には、運搬の手間や処分費の削減のため、修繕の際に発生する石膏ボードや廃材を災害廃棄物の一次仮置場に大量に廃棄する業者が現れた。請負事業者の廃棄物は産業廃棄物であることから、独自に処理するよう指導を行ったが、住民やボランティアと区別できないような形で廃棄する業者もおり、対応に苦慮することも多々あった。

土砂崩れによる被害の様子


膨大な量のがれき混じり土砂


 河川や道路に堆積したがれき混じり土砂は、国・県・町・JR等が撤去・運搬を行っていたが、量が膨大すぎて仮置場の確保・処分方法・処分先など、先が全く読めない状況だった。

 それらの処分方法は、基本的に廃棄物が混ざっていなければ広島港の埋め立て地に直投することが最も早く安価に運搬・処分ができると考えられていた。このため、国や県の主導のもと、水尻人工海浜公園空き地に土砂や流木を仮置きし、土砂とがれきを分別した後、篩にかけて、比較的綺麗な土砂のみを船舶で海上運搬し、広島港に直接投入することとなった。

 受け入れ先は、広島県が管理する埋立処分地(広島市)であったが、広島県からは土砂の中にがれき等の廃棄物が混ざっていた場合、海上から直接投入することは出来ない旨の指導があり、土砂の検査などに多少時間がかかったが、結果的に受け入れてもらえることになった。

 また、河川等に堆積した比較的綺麗な土砂も一度、廃棄物を取り除く作業が必要となり、その費用は大きくなることが予測されていた。

多量の土砂の海上輸送

坂町の災害廃棄物処理の流れ 
出典:平成30年7月豪雨災害に係る広島県災害廃棄物処理実行計画


土のう袋に入れられた災害廃棄物等の搬出と処理


 住民からの要望もあり、被災地から一刻も早く堆積土砂を搬出したかったが、道路事情やインフラの損壊によりかなり時間がかかってしまい、小屋浦地区では小学校のグラウンドに土砂、土嚢袋、混合廃棄物が大量に持ち込まれ、坂地区では仮置場の不足により小学校が土砂の仮置場となってしまった。

 ボランティアの協力で被災家屋(主にがれき混じり土砂が大量に流れ込んだ家屋や、水が引いた後にヘドロが堆積した家屋)から、土砂、がれき、濡れた日常生活用品が排出され始めたが、土砂やがれきが土嚢袋に詰めて排出されたため、中に何が入っているのか分からず、処分方法をどうするかで苦慮することとなった。

 環境省の指導で、ボランティアへの説明会でも一次仮置場への災害廃棄物搬入の際には、分別の徹底をとアナウンスしたが、分別意識が浸透せず、排出される土嚢袋や混合廃棄物は仮置場や空き地に山積みされ、増え続けていった。

 廃棄された土嚢袋には、土砂のみでなく、たいてい廃棄物が混ざっていたため、当初は、最終処分場に直接投入することを検討していたが、処分費が高額になることや災害廃棄物の再資源化率を上げる指導もあり、数十万袋に及ぶ土嚢袋を仮置場で破袋し、篩にかけ、土砂とゴミを分別しなければならず、土砂は埋め立て処分を行い、これらの費用は高額なものになった。

 重機による土嚢袋の破袋と手作業での分別にかなり経費がかかり、スピードと手間を考慮すれば、最終処分場に直接投入することが、スピードも含め効率的であったのではないかと、今では思われる。

土のう袋に入ったごみの処理   

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4.緊急県外処理の背景と経緯


 発災後から、収集した災害廃棄物を二次仮置場(約15,600m2)に搬入し続けていたが、土砂、流木、汚泥等がグラウンド(北新地運動公園)の半分以上を占拠していて、二週間経過した頃、混合廃棄物となったごみを山積みにすることが限界に達し、処分を急がなければならない状況となった。しかし、町が年度当初に委託していた最終処分場は被災して処分が不可能であったため、災害廃棄物の新たな処分先を探さなければならなくなった。

 広島市から過去の災害経験を基に、今からやるべき災害廃棄物処理の流れを聞いたが、広島市が行ったような大掛かりな処理施設の建設は坂町単独では事務手続きなど膨大なものになると感じ、断念することとなった。当初は、可能であれば広域処理(広島県に要請し近隣市町の廃棄物を1か所に集めて処理する)ができないか県に検討するよう要請もしたが、他自治体と連携を図れるような状態ではなく、難しいとの回答であったため、町内に仮置場を増やし、処分先を自分達で早急に見つけなければならない事態になった。

 発災後20日経過した頃、県内他市が他県で廃棄物処理を行っていると聞き、坂町もその業者に緊急処理を委託することができないか検討し、早急に契約を行った。そのときの決断は速く、県外への緊急搬出処理が契約できたことは、今でも幸運だったと思う。委託業者は過去の大災害で災害廃棄物処理の経験があり、運搬から処分までを安心して任せることができた。

 8月からは本格的に緊急搬出処理ができることとなり、被災地→一次仮置場→二次仮置場→処分の流れが一気にスムーズにいくようになった。しかし、土砂については量が膨大であり、篩にかける作業が長期化し、港湾への投入もスムーズにいかないため、二次仮置場に置くことができる災害廃棄物置場の占有面積を増やすことは当分できなかった。

 災害廃棄物等の処理がスムーズにいかないときには、阻害要因が何なのかを把握し、その要因となる事象を分析したうえで、原因を排除することが重要であったと今では考えている。


仮置場に集積した混合廃棄物

混合廃棄物の搬出


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5.広島県への事務委託における坂町の役割と実務


 災害廃棄物の県外処理は、あくまで緊急対応であり、山積みの混合廃棄物が処理された後は、混合廃棄物とならないよう分別を徹底し、自治体で適正に処理をしなければならない。

 緊急対応が終了し、公費解体業務で発生する災害廃棄物の分別や、処理方法をどうするか悩んでいたところ、東京都の職員から広島県へ災害廃棄物処理事務委託を行えるのではないかというアドバイスをもらい、即座に広島県に依頼することとなった。県外での一括処理を行いながら、広島県への事務委託作業も並行して行い、災害廃棄物が滞らない流れを作っていった。

 坂町は一次仮置場から二次仮置場への災害廃棄物の搬入と公費解体業務を行い、広島県は事務委託により、集められた二次仮置場の管理・運営と災害廃棄物の処理を行うという役割分担を決めた。


坂町から広島県への事務委託の範囲 
出典:平成30年7月豪雨災害に係る広島県災害廃棄物処理実行計画


 広島県への事務委託が相互に確認されても、自治体間での議会議決を得たり、広島県が二次仮置場管理業務の契約を締結したりするまでにはかなりの時間がかかり、実際に広島県が二次仮置場の管理・処理を本格的に行えるようになったのは、発災後5か月経過した12月からであった。その間にも災害廃棄物は発生し続けるため、事務委託が可能になるまでの災害廃棄物の処理は自治体が行わなければならなかった。

 坂町では、緊急処理が完了した後、独自で処理を行う対策が確立されていなかったため、災害廃棄物が堆積していない更地の状態で二次仮置場として広島県に明け渡すことができなかった。二次仮置場の引き継ぎ事項や引き継ぎの期日を細かく確認し、廃棄物の緊急搬出を行っている間に、町が独自で廃棄物処理できるような対策を取っていれば事務委託ももっとスムーズにいったのではないかと思う。

 時間の経過とともに一次仮置場を順次、閉鎖していく中で、災害廃棄物の運搬業務は減少していったが、公費解体から発生する災害廃棄物を二次仮置場に搬入する際には、事務委託した広島県と調整する必要がある。これは広島県が委託している業者が二次仮置場の管理の際に効率的な人員配置や処理経費の削減を行うために必要なことであると考えられるが、町としては被災者支援のため、できるだけ早く解体業務を進め、被災者の生活再建を急ぐことが重要であった。

 結果的に解体業務にかかる設計図書の作成や、解体業者の作業スケジュールが平準化したことから、二次仮置場が解体家屋の廃棄物搬入で混雑することはなかった。

 坂町は広島県内の被災地でもトップクラスの被害状況だったが、中でも災害廃棄物の発生量は町独自ではすぐに計算できないほどであった。環境省や広島県等が災害廃棄物発生量を推計したところ、坂町の発生量は270,000t、町民一人当たり20.72tとなり、広島県内で断トツトップの量だった。最初に広島県が作成した災害廃棄物処理計画では、坂町の災害廃棄物処理費用は、約60億円程度であったと記憶している。事務委託を行いたい自治体は他にもあったが、広島県が坂町の事務委託を受けたのは、人口当たりの災害廃棄物処理量が他の自治体よりも桁違いに多かったことが、受託する要因になったと後に分かった。


広島県管理二次仮置場の様子


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